なつかしい坂井泉水さんの透明感のある歌声をバックに書き進めよう! この15周年記念アルバムは昨年発売されたようだ。しかし、彼女の不慮の死、そしてその後巻き起こった一種の哀悼ムーブメントに駆られて、オリコンでも上位に入る売り上げを叩きだしているようだ。そう言えば、最近カフェでかかっているJポップ系のバックグランド・ミュージックにも、確かにZARDが復活している。
実は、私の場合、ZARDを知ったのは比較的最近のことである。どこかで聞こえている歌声を、「これ、良くかかってるよね、で、誰なの?」と学生に聞いて教えてもらったのが、いまから4,5年前のこと。当時は、宇多田、MISIAにはまっており、深く考えてみようとは思わなかったのだ。しかし、凄く大勢のファンが根付いており、バブル崩壊で行方を失った日本社会の底辺に位置する人々の心をガッチリととらえていたのが、実は坂井さんの歌詞の世界だったのである。
青山斎場で行われたお別れの会のビデオを見ていて、かつて日本でセレブのお葬式、いや、死そのものが社会現象にまでなり、花をたむける行為が広がることは、そうそうないことだと思った。尾崎豊、X JapanのHIDEなど、数えるほどしかないが、彼女の死のインパクトは、何かそれらとは明らかに一線を画しているように思える。90年代を語るときよく使われる「失われた10年」というキーフレーズ。そんな、停滞期、閉塞感に包まれた時代に、多くの人々に普遍的な希望を与えていたのが、坂井さん楽曲、特に歌詞に込められた「思い」だったのだ。
宇多田を考えることは、純日本的な感性と世界との結びつきであり、それはネット時代の時流そのものを考えることでもあるわけだが、ZARDは、そのような時流とは、一歩も二歩も引いた位置から語りかけていたことが、今になって理解出来るのである。だから、ZARDの楽曲がいま我々にもたらしてくれるものは、何かの反省であったり、振り返りであったり、過去の等身大の自分自身を思い起こす作用をもっているように思う。
先週の木曜日、DVD2セット到着。それからというものは、繰り返し見ている。やはり、メディアを教えるものとしては、制作者の施策ノートというべきメイキングや絵コンテをこれでもかと見せてくれるパッケージは有り難い。特に、鉄コンのマイケル監督が語りかけてくるメイキングには、「今、世界のクリエーター、それも完成のするどいクリエーターたちの息づかい、感じ方」は、こうなんだということを、たっぷり感じさせてくれる。それは、「バベル」のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトウ監督にも感じた「ある感じ方」に近いものを感じ取っている。
一方、今敏監督の大人で正攻法のアニメ創りには、手堅い実写映像のあつかいに近いものを毎回勉強させてもらっている。その中でも、車で雨の中を移動中のシーンで、車のフロントガラスを流れる雨だれをストーリー展開の象徴的にシーンに作り替える発想を生むプロセスの説明には、ある種の安心を受けてしまった。ランダムに出てくるイメージを寄せ集めて絵コンテを描いているセミナー生たちにも、「それで良いんだよ」と自信をもって言える何かを教えている。ありがたい、メイキングだった。
実は、私の場合、ZARDを知ったのは比較的最近のことである。どこかで聞こえている歌声を、「これ、良くかかってるよね、で、誰なの?」と学生に聞いて教えてもらったのが、いまから4,5年前のこと。当時は、宇多田、MISIAにはまっており、深く考えてみようとは思わなかったのだ。しかし、凄く大勢のファンが根付いており、バブル崩壊で行方を失った日本社会の底辺に位置する人々の心をガッチリととらえていたのが、実は坂井さんの歌詞の世界だったのである。
青山斎場で行われたお別れの会のビデオを見ていて、かつて日本でセレブのお葬式、いや、死そのものが社会現象にまでなり、花をたむける行為が広がることは、そうそうないことだと思った。尾崎豊、X JapanのHIDEなど、数えるほどしかないが、彼女の死のインパクトは、何かそれらとは明らかに一線を画しているように思える。90年代を語るときよく使われる「失われた10年」というキーフレーズ。そんな、停滞期、閉塞感に包まれた時代に、多くの人々に普遍的な希望を与えていたのが、坂井さん楽曲、特に歌詞に込められた「思い」だったのだ。
宇多田を考えることは、純日本的な感性と世界との結びつきであり、それはネット時代の時流そのものを考えることでもあるわけだが、ZARDは、そのような時流とは、一歩も二歩も引いた位置から語りかけていたことが、今になって理解出来るのである。だから、ZARDの楽曲がいま我々にもたらしてくれるものは、何かの反省であったり、振り返りであったり、過去の等身大の自分自身を思い起こす作用をもっているように思う。
先週の木曜日、DVD2セット到着。それからというものは、繰り返し見ている。やはり、メディアを教えるものとしては、制作者の施策ノートというべきメイキングや絵コンテをこれでもかと見せてくれるパッケージは有り難い。特に、鉄コンのマイケル監督が語りかけてくるメイキングには、「今、世界のクリエーター、それも完成のするどいクリエーターたちの息づかい、感じ方」は、こうなんだということを、たっぷり感じさせてくれる。それは、「バベル」のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトウ監督にも感じた「ある感じ方」に近いものを感じ取っている。
一方、今敏監督の大人で正攻法のアニメ創りには、手堅い実写映像のあつかいに近いものを毎回勉強させてもらっている。その中でも、車で雨の中を移動中のシーンで、車のフロントガラスを流れる雨だれをストーリー展開の象徴的にシーンに作り替える発想を生むプロセスの説明には、ある種の安心を受けてしまった。ランダムに出てくるイメージを寄せ集めて絵コンテを描いているセミナー生たちにも、「それで良いんだよ」と自信をもって言える何かを教えている。ありがたい、メイキングだった。