金曜日, 7月 06, 2012

抗議行動の行方を按ずる


先週末、大飯原発前で再稼働反対の抗議デモをUstで見続けていた。そして今日も、抗議行動が始まる午後6時過ぎから、IWJ(Independent Web Journal)による数台のカメラによる中継を観ていた。今日は警察による地下鉄出口での規制のためか、人の流れが規制され、それが良かったのか、悪かったのかは解らないが、雨の中、人々の機運はじわじわと上昇しているのかもしれない。しかし、一抹の不安を覚えた。
抗議行動への思惑がちがうグループが、それぞれの主張をしたそうな機運があったり、抗議行動を利用して自己主張の場にしようとするグループが出てきそうな機運を感じてしまったからだ。有名人、例えば坂本竜一氏のような方、国会議員も演説していたが、どうなのでしょうか。一方、Facebookの上では、あきらかにこちらの投稿に対して「荒らし」的に介入したそうな方を見受けるようになった。別に、ブロックするほどでもないのだが、こちらの投稿に呼応して発言したい方の切っ先を邪魔する動きになっている。大人の対応が必要ですね。映像では、赤に白抜き文字で全学連の旗をみつけたが、なにか、場違いな感じがして、その意味で印象的だった。

日曜日, 6月 03, 2012

いいね! Like! は、使い方によってはネガティブにもなる!

今日もFacebookの話題から話そう。いいね!という肯定的スタンスから積極的にコミュニケーションの回路を創り出している訳だが、これは使いようによっては、ネガティブな意思表示にもなることを知っておくべきかもしれない。つまり、こちらは、絶えずいいね!を押してあげるのに、こちらのコンテンツには、一切いいね!を押してこなければ、これは、何か有ると考えるのが一般的なリアクションではなかろうか。一般社会的に言うなら、シカトされた状態に似ている。 だが、お互い相当な年月を生きてきた社会人だから、最終的な拒絶としてのブロックまではしないで、友達関係は維持しておいて、無視する。これは、時間が経つと結構なストレスとなりそうだ。また、一端お友達にはなっても、いいね!の交流が疎遠になると、相手がポストしていても、自分のニュース・フィードに入ってこないという現象も生じている。これは、Facebookのサーバーの持つ、アルゴリズムのなせる業なのだろう。お互いの交流の頻度・程度・時間的推移をFBアルゴリズムが計算して、交流の高い順に、ニュースフィードを個々に構成しているためと思われる。その結果、生真面目な方は、それぞれのお友達のウォールにまで出掛けて、リアクションを入れているのかもしれない。要するに意識すべきは、此方からポジティブ・リアクションを先に仕掛けていくべき仕様となっている点を、認識しておくべきなのだ。

土曜日, 5月 26, 2012

カジュアルに情報発信

Facebookに、メディココミ@四日市大学という大学の専攻のページ、開設して約1ヶ月が経過した。毎日、なんらかのコンテンツを掲載し続けている。当初、漠然としていた構造に対するイメージも、1ヶ月の試行期間中に明確になってきた。卒業生の今、在校生の様子、教授陣の紹介、イベントや学事上の出来事のフォロー、そして、大学HPへのリンクなど、振り返ってみれば、結構コンテンツがありそうなことが解ってきた。教授陣の紹介などは、1度紹介したら終わりではなく、何度も違った側面から紹介すればいいのだから、その都度のコンテンツ(記述する焦点)も手短に、印象的に伝えることが出来る。面白くできる構成なのだ。また、ビジュアルも、同じ建物の外観を、アングル違いで、その日の天候や風情が出やすい瞬間を狙って、繰り返し登場させている。これはTVCM的なある種の手法を応用している。そして、意外に、驚くべき反響がある。ある視聴者などは、「息子の大学選びの情報誌に四日市大がでていたけど、何か親しみを覚えました・・・・!」とあった。してやったり、なのだ!
今、やってよかったと思えることの一つに、卒業生の掘り起こしが進んだことだ。なんらかのSNSを独自にやじめている卒業生が多く、意外と簡単に4〜5年音信が取れていなかった卒業生たちとコンタクトが取れるようになった。これは、有り難い!
次のステップは、在校生たちのなかから、学生自ら発信する局面をプロデュースすることだ。

土曜日, 5月 19, 2012

福井のクリエティブ・スポット FLATの SCHOOlING: 菱川勢一さん、森の木琴を語る

森の木琴というDOCOMOのCMをまとめ上げた人として、最近、超有名になっている菱川勢一さんの講演会に行ってきた。
本人の肩書き紹介では、映像作家/デザイナー/写真家となっているが、基本は、クライアントの意向に沿って、あるいは、意向にだめ出ししながら、何かの新しい価値を創り出すクリエーターと言える。手がけた作品群、いや、プロジェクトといった方が適切かもしれないのだが、事例を挙げながらプレゼンが進んでいった。事例としてあげられたのは、Long Lifeのシリーズ、NHK大河ドラマ「功名が辻」のCGのみで構成したタイトル、鹿児島の老舗デパートと地域を結びつけた再生プロジェクト「Maruya gardens」の話、ぼろぼろに崩れてしまったSonyのブランディングをどう捉えて、如何にSonyを叱りつけて、銀座のSony Bildingのイメージ映像を完成させたか、そして、トリが、DOCOMOの「森の木琴」の話だった。
約1時間半の予定を40分以上オーバーする熱の入ったレクチュアだった。久しぶりに本物の話が聞けた満足感に浸っている。いくつか、感想・印象を記録しておこう。
森の木琴がカンヌで3冠を獲得したニュースは、丁度、昨年の今頃の話だった。震災後のうつうつとした世相の中に飛び込んで来たニュース、そして、森の木琴の映像が醸し出す、静寂で、それでいて、最後まで一種のドキドキ感を抱かせながら木琴が演奏していくスリルに、心が洗われた記憶がある。しかし、映像とは裏腹に、そこに秘められたコンセプトは、放置されて久しい日本の森林が、まさに死んでいこうとする瀬戸際にあること、森林に光を入れて、共生植物を豊かにする間引き伐採ができなくなっていること、すなわち間伐材が放置されている現実など、環境問題化している「死に行く日本の森林」を見直し、木材に対する社会的な需要を呼び起こす手立ての一環として、木製の携帯電話が企画された。このような環境との関わりから、この木製携帯とCNが企画された点はあまり知られてない。
従って、ロケハンは、まず死に行く森を見つけることから始まり、そのロケ地に近い環境のもとで、木琴を製作してくれるチームを九州大学の学生さんたちに協力して貰い、約44メートルの木琴を森の中に設置する。撮影は、合計で49回に及んだが、最後に木製の球が木製携帯の横に見事に止まるまで、撮影チーム、スタッフ全員が粘りに粘って、最終ショットをものにした話は、製作現場の空気が伝わってくるような緊迫感があった。
関連URLs:
https://www.facebook.com/events/257832707647511/
http://www.drawingandmanual.jp/



金曜日, 5月 18, 2012

キュレーション/ paper.li

博物館や美術館の学芸員のことを、キュレターと呼ぶが、その意味するところは、情報を、あるいは、モノを収集し、整理し、多くの方々に展示して観てもらえるようにする役割をさしている。2001年同時多発テロを契機に、アメリカの大手メディアサイトから始まったブログ文化も成熟し、数年前からは単文投稿スタイルのTwitterや日常的な発信メディアとなったSNSがネットの主役になってきた。TwitterやFacebookをはじめとするSNSがネットの主役に成って来た今日、それまで、個々のユーザーが、主にブラウザーのブックマークとしていたお気に入りのサイトや、勉強のためにウォッチし続けるサイトが増え続け、ルーティンでいちいち訪問する事が煩雑になって来た。そこで生まれたのが、個々のニュースソースを一括して、新聞のように、まとめてくれるサービスだ。その一例が、以下のリンク。
デイリー東北大学

土曜日, 5月 12, 2012

積極的なコミュニケーションの回路創り

当面、Facebookの特性について書いていくことになりそうだ。昨年、震災の1週間後くらいにFBに参加した訳だが、その当時の感想としては、なんという玉石混淆なことよ!、と言う感想である。当方は、震災報道、特に福島原発報道の審議についてのレビュー投稿を中心にみていたので、メシネタ投稿や、個人的な家庭風景の投稿などが、時節に合わない、いや、むしろ時節を考えてひかえるべきじゃないだろうかという思いさえ持ったものだ。また、若い人の投稿と、30代、40代の投稿では、さまざまな意味で温度差が有りすぎで、その落差を自分自身のなかで消化出来ない傾向にあった。
そこで考えたのが、自分自身のスタンスを持ったルーティンを確立してみることだった。私の場合は震災復興支援のためのクリック募金を、毎朝投稿し、リアクションのある方々と、日常的な挨拶を交わすことだった。これを始めてから、大いに気がつくことが出てきた。皆さん、なんらかのアクションをしたいのだが、その切り口をみつけるのに智恵を絞っていらっしゃるということ。つまり、SNSは、黙って居ては、リアクションと繋がりが生まれないという現実だ。そして、このメディアが「積極的なコミュニケーションの回路創り」のためのメディアだという回答だった。

金曜日, 5月 11, 2012

動的なWEB、静的なWEBの二極化に進むのか

SNSを体験していると、実にフラッシュなニュースの渦に時間がいくらあっても足りないくらいの感覚に陥ってしまう。一方、いままでのような旧来型のHPやブログを拾い読みしていると、じっくり考えながら読み進もうとするので、これもまた時間を食ってします。結果、ネットに依存状態のママ終日過ぎて行くこともままある。これで、良いのか?
Facebookの中に「メディコミ@四日市大学」というページを作成した。始めてみて、今感じていることは、いいね!を貰うためのプロモーションが必然的に求められ、そのための仕込み、発信作業が実に労力のいる仕事だと言うことだ。ネタの仕込みには自信があっても、継続的に続ける気力がもつか、心配だ。
以下、気になっているメディアリテラシー上の話題のリンクを掲載しておく。
削除要請を大量に無視している2チャネルの件:

木曜日, 5月 10, 2012

約1年ぶり

Facebookをはじめて約1年が経過した。震災報道、特に福島原発事故関連のマスコミ報道に疑念を持ち、その検証のために始めた訳だが、メディアリテラシー力を試される場として、Facebookは格好のステージだった。今や、メディア大手も、必ずSNSへのショーシャルリンクを揃えるようになっているし、情報の伝搬力、波及性など、テレビに肩を並べるレベルに近づいている言っても過言ではない。では、このような旧来式のブログはどうか。約1年ぶりに投稿する訳だが、その答え探しに、しばらくこちらにも、書き込んでみようと思う。きょうはそういう意思表示の書き込みだ。

   アマゾン・プライムのラインアップ構成、なかなか気が利いていると思います。このお盆の時期、見放題のラインアップに、「戦争と人間=3部作品」や「永遠の0」が出てきていましたが、それよりも良かったと思ったのは、「空人」です。エンターテイメント性は希薄ですが、これぞ名画といった作品...