木曜日, 9月 24, 2009

ふと気付いたこと 〜カヤグムやコムンゴの調べに呼び起こされて〜

先日、NHKスペシャルの再放送をみていて、はたと再認識させられたことがある。その番組は奈良の法隆寺を詳細に見せる番組で、その中の1項目に、聖徳太子の命日に太子の遺徳を偲ぶ「お会式」と呼ばれる法事の準備過程は紹介されていた。ビックリしたのは、祭壇の構成であり、お供え物を飾り付ける様式だった。番組の解説でも述べられていたことなのだが、その様な祭壇の様式は、当時交流のあった朝鮮から伝えられたものだという。確かに、韓国ドラマ、それも現代ドラマのなかで時折出てくる祖先の命日を祭る韓国式の法事の祭壇形式とウリ二つの様式に、本当に驚いてしまった。あの時代、日本にとって韓半島は学ぶべき文化、あるいは、憧れる文化の情報発信地だったことを再認識させられるのだ。ということは、50歳をすぎた者として、幼少の頃習ってきた歴史史観が、相当歪んだものだったことを素直に認めなければならない。歴史的史観というよりも、漢民族への恐れのようなものが歪められた感情となって我々の親世代に残っていて、その影響下で育てられてしまったある種の感性といってもいいかもしれない。
 先週来のシルバーウィーク(この呼び名もウザイね!)期間中、またまた韓国ドラマ・マラソン鑑賞会をやっていた。今回はBS放送でも放送された「ファン・ジニ」。兎に角、このドラマの特徴は、映像美の素晴らしさ、色彩感覚豊かに、華やかに華麗な衣装に精緻な舞台設定と、踊りや漢民族古来の歌楽がふんだんに出てくることだ。実に美しく、華麗。日本の薄暗い色調に収められがちな時代劇とは、完全に方向性の違う映像表現がなされている点に、羨望の感情を持ってしまう。さらに、ドラマ手法としては良くあることだが、16世紀に実在した本人が残した歌(漢詩)を見事にストーリーに乗せてしまっている点も味わい深いものになっており、このドラマをみて、日本のテレビ・ドラマ文化は完全に息詰まってしまっているとの認識に陥ってしまった。
 現在放送が始まった「イ・サン」についても言えることだが、視聴者をハメてしまう、何かの方式を忠実にシナリオ化しているように思えてならない。それは、ある学生の親が、その親は韓流に嵌っている方らしいのだが、何故韓流ドラマにハマるのか?=日本の昔のドラマに似ていると表した「何か」らしい。 
 ファン・ジニにでてきた韓国式のお琴(カヤグムやコムンゴ)の調べ、これはもの凄い音色を持っている。これを習ってみたいと、マジで思っている。

   アマゾン・プライムのラインアップ構成、なかなか気が利いていると思います。このお盆の時期、見放題のラインアップに、「戦争と人間=3部作品」や「永遠の0」が出てきていましたが、それよりも良かったと思ったのは、「空人」です。エンターテイメント性は希薄ですが、これぞ名画といった作品...