当面、Facebookの特性について書いていくことになりそうだ。昨年、震災の1週間後くらいにFBに参加した訳だが、その当時の感想としては、なんという玉石混淆なことよ!、と言う感想である。当方は、震災報道、特に福島原発報道の審議についてのレビュー投稿を中心にみていたので、メシネタ投稿や、個人的な家庭風景の投稿などが、時節に合わない、いや、むしろ時節を考えてひかえるべきじゃないだろうかという思いさえ持ったものだ。また、若い人の投稿と、30代、40代の投稿では、さまざまな意味で温度差が有りすぎで、その落差を自分自身のなかで消化出来ない傾向にあった。
そこで考えたのが、自分自身のスタンスを持ったルーティンを確立してみることだった。私の場合は震災復興支援のためのクリック募金を、毎朝投稿し、リアクションのある方々と、日常的な挨拶を交わすことだった。これを始めてから、大いに気がつくことが出てきた。皆さん、なんらかのアクションをしたいのだが、その切り口をみつけるのに智恵を絞っていらっしゃるということ。つまり、SNSは、黙って居ては、リアクションと繋がりが生まれないという現実だ。そして、このメディアが「積極的なコミュニケーションの回路創り」のためのメディアだという回答だった。
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