火曜日, 1月 23, 2007

王 敏(Wang Min)著「中国人の愛国心」PHP新書

昨年来、中国関係書籍を集中的に読破してきた。北京調査以降、中華文明を総合的に知る為に、まず陳舜臣さんの小説の中でも太平天国の乱以降の時代小説を集中的に読み込んだ。11月以降は、長江文明発見物語として、安田喜憲先生の書籍を読みこなし、さらに、中国から日本へ来て比較文化論を研究する社会科学系の学者の普及書を読み込んでいる。全ては、私が最も大事にしている出版文化論の勉強のためということもあるが、何故か、いまは中国に惹かれているのだ。
 日本の首相の靖国参拝問題から、中国では「愛国無罪」というプラカードを掲げた反日デモがあった。日本には先の侵略戦争にともなう人道的な責任があり、反日デモには常々過敏になっている半面、いつまで謝罪外交を続けなくてはならないのか、あるいは、自虐的な歴史認識をいつまでも持ち続けなくてはならない責任に、いささか、うんざりしている訳だ。しかし、その理由を突き詰めていくと、中国人のメンタリティや中国人が考える歴史というものに対する認識や彼らの思考回路について、我々日本人にはうかがい知ることの出来ない壁があることに気がつくはずだ。その壁され理解してしまえば、つまり理屈が解ってしまえば、ステップを踏めるというモノだ。そのようなステップを踏ませてくれる絶好の解説書である。
 例えば、中国人にとって国を愛するとはどういうことなのか。それがキーワード化された「愛国」とはどういう具体的な行動を指すのか。そのようなことをいままでどの日本人も正確には理解してこなかったように思う。この命題を、筆者は巧みな事例の引き方で、優しく解説している。四書五経の大学に出てくる「修身斉家治国平天下」から説き起こし、天意は民衆にあり、国家のために勉強することは即自分のためでもあるという中国古来の考え方を披露している。そして、その天意にそぐわない治世になった場合、ことごとく民衆は民意発揚のためデモや騒動を起こしてきた歴史を解説している。つまり、中国ではデモは日常茶飯事であり、それが中国全体の総意だと思いこむ愚かさを日本人に伝えようとしているのだ。天意に背く皇帝は、ことごとく民衆に追放されてきたとも解説している。
 私はこの書籍の一番すぐれている点であり、勉強になったところは、第5章の「中華文明vs西洋文明」である。近世に近付くに従って列強の干渉やキリスト教布教のための使節が中国に入り込む。これらの外来文化にどのように接してきたかを解説している。中華が世界で最もすぐれた文明であり、世界の中心であると自認していた中世から近世に至る過程で、外来文化に抵抗し、あるいは部分的に受容しながら近世へと向かうわけだが、そのプロセスが日本とはことなり、「抵抗と受容」という両極端な振れを持っていたことだ。日本のように、明治維新を境に、国学漢学から洋学へと一気に変更したわけだが、そのようにドラスティックに舵をとれなかった中国の姿を、歴史を追いながら解説している。この部分がとても説得力があり、とても勉強になる。
 太平天国の乱はキリスト教、すなわち外来文化を取り込んでの運動であり、次の義和団の乱は中国国産の文化に背を押された反乱でありといったように、外来を受け入れる側と中国古来の文化を守ろうとする側のせめぎ合いが、現在にまで続いている姿を、見事な解説で解き明かしており、この視点は中国史を見ていく場合の大きなよりどころになると確信した。今回は、素敵な学習となった。我がセミナーの中国人留学生に課題図書として渡さなくてはならない。彼女も大いに勉強になるはずだ。

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