月曜日, 2月 25, 2008

静かに過ごしながら、読書!

今、司馬遼太郎の「翔ぶが如く」を文庫本で読んでいる。もう20年近く前に出版された時代小説だが、いままで読んでいなかった。「坂の上の雲」や「竜馬が行く」などは学生時代から馴染んでおり、何度も繰り返し読んでいるのに、この「翔ぶが如く」だけはどうしたわけか、手を出さずじまいになっていた。読み出して、何故手を出さなかったかが、朧気ながら解ってきたような気がする。それは、代表作の「坂の上の雲」や「竜馬が行く」のように登場人物が生き生きと躍動し、その一挙一動がドラマとしての躍動感に満ちているのに反して、「翔ぶが如く」に出てくる群像にはそのようなドラマ性が乏しいからなのではないか、その臭いを書店の店頭で嗅ぎ取ってしまい、手が出なかったのではないか、という自身の無意識世界のなせる業だったのではないかと思うのだ。
 明治維新初期の揺れ動く政治情勢、取り巻くアジアの国際情勢の中で、薩摩から出てきた西郷隆盛、大久保利通の生き様を縦軸にしてはいるが、全体的に歴史資料をふんだんに活用しつつ筆は進んでいく。司馬さんはそれらの資料の行間を研ぎ澄まされた感性で読み解き、その場その場の空気感を丹精に再現するかの如く、神経を払っている。だから、小説仕立ての代表作の中でも、ちょっと異質な感じを覚えている。
 2年前の北京取材の前後に読んだ陳舜臣さんの「阿片戦争」「江は流れず(小説日清戦争)」に登場してくる中国の代表的な政治家の一人李鴻章などの人物像を参考に、また陳さんの小説の背景を思い出しながら大久保利通の北京での賠償金交渉のくだりなどを読んでいると、私もようやく日本近世史を勉強できる素養が出来てきたのではないかと思えて、歴史の勉強には本当に時間と努力が必要なのだと、改めて反省している。
 小説とは言っても、「翔ぶが如く」、なかなか飛ばない。丹精に読まないと、事件と歴史の廻転にこちらが翻弄され、どこに面白さがあるのか、感じる間の無く、飛ばして読んでしまいそうだ。
 ダイエット、実に順調。10年前の体重に戻りつつある。ダイエットは食事節制にかぎる。運動では痩せない。入れるもの、出すもののバランスを調節すること。だから、寝汗などをかくと、とても嬉しくなる。新陳代謝が上手く行っている証拠と思うのだ。

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