水曜日, 2月 20, 2008

芥川賞受賞作家へのインタビュー記事「家には本が一冊もなかった」

第138回平成19年度下半期芥川賞は、川上未映子さんの「乳と卵」だった。現在発売されている文藝春秋3月特別号に掲載されている。作品は、私にはなじまない文体で記述されており、少々読解するのに時間がかかってしまう。なぜなら、情景描写、心理描写が、ところどころかすめて入ってくる大阪弁口頭語記述と、やたら句点でくぎりながらも、延々と続く一文が長いからだ。樋口一葉の文体に影響を受け、それを現在風に演出すると、このような文体になるらしい。兎に角、客観記事文体になれた私には難物。昨晩読み切ろうとしたが、途中で頓挫してしまい、今日改めてといったところだ。
 受賞作品そのものも興味深いのだが、さらに面白いと思ったのは、作品掲載に当たっての作家へのインタビュー記事である。書店員やホステスや歌手デビューすらしたことのある作者の経歴もさることながら、その独特の観察眼と価値観に惹かれてしまう。例えば、ケータイ小説やできちゃった婚についての認識など、なるほどと、唸ってしまった。その部分を引用してみたい。
 
 文藝春秋三月特別号350~351ページにかけ2カ所引用します:
 先日、社会学者の宮台真司さんが言っていたんですが、今なぜ若い子にケータイ小説が受けているかというと、彼女たちの人付き合いが刹那的だからだというんですね。彼女たちは週替わりで相手を変える。でも、それはすれっからしだからではなく、ピュアすぎて傷つくことが怖いから、問題が起きたらすぐ別れてしまうんだと。ケータイ小説もそういう乗りなんですよ。「強姦された! 頑張れよといわれた。だから頑張る」みたいに(笑)。←<(笑)こういう記述がすっかり文化として定着してしまった!>わかりやすいけど、彼女たちはそういう表現しかシンパシーを持てない。純文学が扱うような深い人間関係を照らす文章は、傷つくからアクセスできないだそうです。傷つくことが本当にこわいんですね。ーーーーとあり、この後、このような彼女たちに伝わる小説とはどうしたら書けるのだろうと反問しているのである。このような時代性が根付いていることが、まず、新鮮に感じるのである。
 次の箇所は:
 今の私の結論は、考える前に子供をつくらないと子供はできないということですね。この時代、避妊も追いつかないくらい燃え上がっているときでないと、子供はつくれないような気がします。私たちの世代、出来ちゃった婚しかないと思いますよ(笑)。
 
 この「私たちの世代、出来ちゃった婚しかないと思いますよ(笑)」と、乾いた感性で時代に取り込まれてしまった若者たちの恋愛状況や結婚状況について、痛快さを覚えるくらいの明快な答えを言い放っている点だ。これには、参った。
 我がセミナー2年間アニメ・プロジェクトで、引きこもりがちな男の子の心情を同世代の女性陣が見事に喝破しつつ、コメディ・タッチで描ききってしまったわけだが、その際も、プロデューサーたる私は一抹の不安がなかった訳ではない。セックスに関連する妄想や、もっと言うなら、パンツに執着するという主人公の性癖を正面に出しても良いのかという逡巡がなかったわけではないのだ。
 しかし、この世代(現10代後半から30代前半まで)には、川上氏が認識しているように、実に乾いた性に対する認識があることを、改めて突きつけられたのだ。つまり、オトンやオカン世代より、彼女たちの日常には「性」は身近なものであり、日常生活のごくごく近辺に存在するものであり、結婚や家庭を持ち子供を育てると言うことも、定式化された通過儀礼ではなく、ハプニングの結果処理、自己責任の取り方としての結果、という認識の方が、ノーマルな考え方なのではないかと思わざるを得ない。そんな考えに押し込んでしまう、いわば迫力が、この作家さんの言葉の端々から響いてきた。
 この小説とインタビュー記事をセミナー生に読ませてみたい。彼ら、彼女たちは、どのような感想を持つのであろう。昨日、やっとの思いで、卒業必要単位をクリアしたことが判明したYUKAはどう感じるのだろう。その意味では、綿矢りさたちの世代より時代感を一段と鮮明にした作家が着目されるようになったということか。

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