土曜日, 4月 16, 2011

ソーシャル・メディアの台頭は、マスメディアの埋没を予感させる

インターネットを始めたのが1993年頃。97年には日本海側、特に福井の三国近郊ではナホトカ号の座礁事故があり、あの時はHPに事故関連URL集を創り、当時最新情報のソースとして最も定評のあったNTTのWhat's Newに大きく取り上げられたのを、思い起こしている。ボランティアが駆けつけるまでの2、3日は、次々と立ち上がる災害情報を掲示したHPのURLをせっせせっせと集めて掲載し、その合間に現地へ出掛けてボランティアもした。持ち帰ったデジタル画像が、中央の通信社に引き継がれ、マスコミにも掲載された。毎日寝ずにHPのメンテに明け暮れたが、1ヶ月程すぎると、事態は収まり、HPへの訪問者数も減衰し、2ヶ月後にはURL集は閉鎖した。
 先週からFacebookを始めているのだが、約1週間でお友達が60名近くになり、はたと、先に書き出したナホトカ号座礁事故の時を思い出したのだ。アクセスを依頼する、反対に依頼されるという関係が、あの時のあり方とよく似ているからだ。それぞれのノードからノードへの結節点に近い存在として、自分の画面(ハイライト/最新情報)に描き出される世界。おびただしいトラフィックの1ノードとしての自分という世界は、この先どのように展開するのか、全く解らない。当面やりつづけるのだが、これは重要なメディア・ウォッチングである。
 ソーシャル・メディアの台頭は、マスメディアの埋没を予感させる。しかし、あまりにも「ゆるい」セキュリティーで、やはり、IT化社会の荒波を知った経験者しか、安全に乗り切れないのかも知れない。今日も1件、なりすましを見破り、レポートしたばかりだ。

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