先日ご紹介したSkinsの整体効果を持つインナーについて。これは効果があります。2日目にして手放せなくなり、3日目にして、肩のこりが著しく軽減されてきたことを体感している。首筋をぐるぐる回し、左右に振ってもポキポキ音がしないほど凝り固まった肩から首筋にかけての筋肉がほぐれてきているのだ。もう、ビックリでR! 金銭の余裕を創って、いやいや、無理してでももう一枚入手しなくてはならないと考えている。それだけではない。お腹のみぞうち当たりが凹んできたような……?? ダイエット効果もあるのかしら?
今日は競馬の皐月賞があった。昨年の秋口からG1だけは、テレビ中継を逃さないようにしている。先日来の雨模様で、中山競馬場の芝がより一層美しく青々としたグリーンをたたえていたが、走る馬にとっては、重馬場の荒れた走路に騎乗戦略を悩ませる結果となったようだ。勝ったのはキャプテントゥーレ、川田将雅騎手。親父さんも調教師をしている。勝因について解説者は、他の騎手が展開を考えて序盤の入りを慎重に行ったのに対して、彼とトーレは最初からハナ(先頭)を奪いに積極的に出ていき、そのまま逃げ勝った。一度もハナを奪われなくして勝利したG1は近年まれに見る好騎乗だったと言っていた。
G1の場合、私は自分の勘を頼りに、三連単を組んでいる。1週間前から各スポーツ紙をあさり、出走馬の動向をチェックし、TM(トラックマン)たちの感想や、怪しげな疑り、あるいは突拍子もない解説にニヤニヤしながら予習をする。週半ばには枠順馬番が決定し、馬券に必要な馬、勝利の確率の高い馬、いらない馬を選び出す作業をする。このプロセスは、配当に繋がるか繋がらないかの大事なプロセスだが、実は未知の勝負に対する推理を働かせる行為であり、この推理がなかなか面白く、楽しい。
皆さんもご存じのように、競馬新聞というのは、過去のレース状況を克明に記載してあり、何走をも前からの成績や走破時計を知ることが出来る。調教のプロセスも逐次時計となって教えてくれる。そのデータを元に、信用できそうなTMの解説記事、予測記事を参照しながら、自説を導き出すのだが、このプロセスが科学実験の仮説造りに似ていて、たまらないのだ。私の場合、前日深夜頃に固まったプランが良いようだ。ところが、翌日の午前中には読まなくてもよいスポーツ紙に目を通してしまい、またまた、新しい馬券を創ってしまうのである。そして、これが外れるのだ。
今回は、ここにその惨敗のプロセスを記録して、後々の戒めとしたい。
前夜の馬券:9=6>1,2,3,10,14,17,18(三連単2頭軸マルチで42点買い)
本日の馬券:1=17>2,3,6,9,10,14,18(三連単2頭軸マルチで42点買い)
そして、結果は、6→1→9だった。前日に作成した買い目でやっていれば、8万なにがしの配当にありつけたかと思うと、悔しくなる。情けない。この状況が昨年末の有馬記念から続いている。先週の桜花賞でも同じだった。我が前日深夜馬券は700万馬券をかすっていた。18番を入れておけばパーフェクトだったのに。もう一歩だったのに。
同じアドレナリン分泌でも、勝ったときと負けたときでは、体内循環の経路が違うらしく、「悔しさアドレナリン」はしばらくするとお金を失うという恐怖感となり、次のG1まで体内に深く残留する。この繰り返しを絶つには勝しかないのか。あるいは、やめるしかないのかもしれないが、世の多くに人々は、再度挑戦の道を選ぶようだ。だから競馬はすたれない。
それにしても今年の皐月賞を制した川田騎手の思い切りの良い先行策は清々しかった。他の有力騎手たちがこぞって慎重策に出たのに対し、自分の馬を信じ、回りに振り回されることなく我が道を選択した信念に、敬意を払いたい。さて、いつツケを払えるのであろうか? あぁー。
今日は競馬の皐月賞があった。昨年の秋口からG1だけは、テレビ中継を逃さないようにしている。先日来の雨模様で、中山競馬場の芝がより一層美しく青々としたグリーンをたたえていたが、走る馬にとっては、重馬場の荒れた走路に騎乗戦略を悩ませる結果となったようだ。勝ったのはキャプテントゥーレ、川田将雅騎手。親父さんも調教師をしている。勝因について解説者は、他の騎手が展開を考えて序盤の入りを慎重に行ったのに対して、彼とトーレは最初からハナ(先頭)を奪いに積極的に出ていき、そのまま逃げ勝った。一度もハナを奪われなくして勝利したG1は近年まれに見る好騎乗だったと言っていた。
G1の場合、私は自分の勘を頼りに、三連単を組んでいる。1週間前から各スポーツ紙をあさり、出走馬の動向をチェックし、TM(トラックマン)たちの感想や、怪しげな疑り、あるいは突拍子もない解説にニヤニヤしながら予習をする。週半ばには枠順馬番が決定し、馬券に必要な馬、勝利の確率の高い馬、いらない馬を選び出す作業をする。このプロセスは、配当に繋がるか繋がらないかの大事なプロセスだが、実は未知の勝負に対する推理を働かせる行為であり、この推理がなかなか面白く、楽しい。
皆さんもご存じのように、競馬新聞というのは、過去のレース状況を克明に記載してあり、何走をも前からの成績や走破時計を知ることが出来る。調教のプロセスも逐次時計となって教えてくれる。そのデータを元に、信用できそうなTMの解説記事、予測記事を参照しながら、自説を導き出すのだが、このプロセスが科学実験の仮説造りに似ていて、たまらないのだ。私の場合、前日深夜頃に固まったプランが良いようだ。ところが、翌日の午前中には読まなくてもよいスポーツ紙に目を通してしまい、またまた、新しい馬券を創ってしまうのである。そして、これが外れるのだ。
今回は、ここにその惨敗のプロセスを記録して、後々の戒めとしたい。
前夜の馬券:9=6>1,2,3,10,14,17,18(三連単2頭軸マルチで42点買い)
本日の馬券:1=17>2,3,6,9,10,14,18(三連単2頭軸マルチで42点買い)
そして、結果は、6→1→9だった。前日に作成した買い目でやっていれば、8万なにがしの配当にありつけたかと思うと、悔しくなる。情けない。この状況が昨年末の有馬記念から続いている。先週の桜花賞でも同じだった。我が前日深夜馬券は700万馬券をかすっていた。18番を入れておけばパーフェクトだったのに。もう一歩だったのに。
同じアドレナリン分泌でも、勝ったときと負けたときでは、体内循環の経路が違うらしく、「悔しさアドレナリン」はしばらくするとお金を失うという恐怖感となり、次のG1まで体内に深く残留する。この繰り返しを絶つには勝しかないのか。あるいは、やめるしかないのかもしれないが、世の多くに人々は、再度挑戦の道を選ぶようだ。だから競馬はすたれない。
それにしても今年の皐月賞を制した川田騎手の思い切りの良い先行策は清々しかった。他の有力騎手たちがこぞって慎重策に出たのに対し、自分の馬を信じ、回りに振り回されることなく我が道を選択した信念に、敬意を払いたい。さて、いつツケを払えるのであろうか? あぁー。
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