実は、私のなかでは、今回のブラジル大会は終わってしまった。日本代表の戦いぶりを観て、やはり、この国の若者たちが背負ってしまった世界との壁、この国の若者たちが自分自身では気がついていなくて、でも世界の若者たちとは決定的に違う負の構造を背負わされている事実を、痛感させられるのだ。
2006年のドイツ大会予選第3戦はブラジルとの戦いだった。結果的には負けたのだが、当時の中心選手中田英寿は、試合終了後ピッチに仰向けになり、顔をタオルで隠しながら、自身の現役生活への別れを表現していた。中田がチームメイトへ、そして日本のサッカー界へ唱えていた主張の核心は、自己中と罵られようと「個の力、個性、感性」を確乎なものとして貫き、その元でチームとして戦うことだったと記憶している。時には監督にピッチ上から要求して選手交代を行ったり。だが、その存在はチーム内ではあまり受け入れられず、常に浮いた存在に押し込められていた印象がある。
今回の大会前、ボランチの遠藤保仁はあるインタビューに答えて、「ヒデさんが言っていたことは、当時は理解出来なかったが、いまは全て正しかったと思えるようになった」。確かに、本田のようなキャラクターを観ていると、中田英寿の進化系に見えなくもない。キャプテンマークを自ら志願する長友佑都にも、同じ傾向が見て取れる。
しかし、なのだ。直前の強化試合で日本に負けたコスタリカが2連勝し決勝トーナメント進出を決めたというのに、日本は予選リーグで敗退が濃厚な情勢。一体、何が日本選手に足りないのだろう。いま、多くの日本人サポーターを悩ませているテーマ、何故だ!
私は素人だから、ライブ映像から伺う選手たちの表情、パフォーマンスからしか想像出来ないのだが、それでも対戦国の選手たちとの違いを嗅ぎ取っている。解説者がサッカーのテクニカルな面やメンタル面の解説をしようが、心の底では感じつつも、避けているテーマがありそうだと感じている。
それは国家戦略としての教育を誤ったまま、本当の意味での「大人」に育ててこなかった国全体としての深刻な課題があるという観点だ。
大学教員として、この16年間、いまの30代半ばから現在10代後半までの世代を観てきたが、そこでも感じてきた幾つかの傾向を思い浮かべている。その解析の中から、今回の日本代表戦を分析出来ないか。少し箇条書きに書き出してみる。
その1:群れることを知らない若者たち。年少時に、野外でチームに別れて喧嘩したり、戦争ごっこのような遊びをやっていない。スポーツクラブは各種取り揃えられていても、ライブな「群れ」の経験がない! 最近では暴走族も影を潜めてきた。
その2:深いコミュニケーションをとるという経験がない。友達付き合いも、お互いが傷つかない浅いレベルで自制気味行っている。LINEなどは、その象徴か。
その3:親子関係が縦の関係ではなく、同一平面上のお友達のような関係になっている。小中高の先生たちも、彼らの目線に降りて、彼らに合わせているような。
その4:家庭内で反抗期を経験しないでそのまま10代後半へきている若者が多い。大人の発想が持てない、大人の発想を感じられない。総じて、幼児的気質が全開となる!
その5:大人から、叱られたり、怒鳴られたりした経験がない。
その6:同年代からの陰湿なイジメやシカトは経験している。
その7:大義とか、こうあるべき正義とか、そのような観点は希薄で、出来れば素通りしたい、素通りして自分が傷つかないように願っているような、気配を感じる。
その8:学業とバイトが重なった場合、バイトを優先する傾向が強い。何故なら、お金が係っているだけでなく、バイトには社会的責任が伴うからで、この点を優先的に考えている。結果、学業には無責任でもどうにかなるという認識が行き渡っている。だったら、大学も学生の本分としての責任を問うべきだが、手緩い。
その9:問題状況、危機状況に陥った場合、自身に危険が有るにもかかわらず、行動を起こせない。思考停止状態になってしまい、結果的に、立ち向うのではなく逃げを打つ消極行動が目につく。期末試験に寝坊して試験を受けられなかった場合など、先生に頼みにくる学生は皆無!
その10:何か人生上の決断を迫られた状況下にあっても、決断に大変な時間がかかる。留年が続いた場合など、転身を決断するのに年単位の時間がかかる。
その11:子供ぽいと言われると、訳も無くムカつく!しかし、人に好かれたり、愛されたりすることへの願望が低く、自身を変えて行く行動が皆無!
スペインを破ったチリ、イタリアを破ったコスタリカ、引き分けに持ち込もうと一致団結して守ったギリシャ、彼らのパフォーマンスを観ていると、国家代表の誇りとプライドを掛けて、国民の願望と言うフレッシャーを力に変えて最後まで戦い抜く根性を示し、実に骨太な魂の塊を感じてしまう。でないと、彼らは本当に国に戻れないのだ。
コートジボアールのドログバ投入を切っ掛けに、2分間で2失点した直後の日本チーム。それは、あたかも日本選手全員の脳細胞が活動を停止したように観えた。あるいは、ギリシャ戦では相手が一人少なくなり、ギリシャは引き分け狙いの布陣を敷いてきたが、果敢に中を切り裂く行動がとれないという優柔不断さを見せつけた。あの「思考停止状態や優柔不断さ」、何かに似ていると思い振り返ってみたら、それは、311が発生した直後の日本全体を覆った、あの状態に極めて似ている感じがするのだ。その後の原発事故に対する無為無策も、似ているように思える。
日本は人を育てるという大義を、もう一度、根幹から洗い直し、社会を修正して行くべきだ。